「自分で獲った鮭のイクラ丼を腹いっぱい喰って、健康で漁ができるのが最高だべさ」
天塩町は北海道最北部に位置し、酪農と漁業が主要産業で人口は約3,200人。
かつて江戸時代は北前船の寄港、交易の要衝として栄えた町です。
東京から飛行機と車で約3時間、札幌から海沿いの国道を北上、走ること約4時間。
日本海に面し、北海道開拓の歴史の中では北前船の寄港地でもあり、幻の魚と呼ばれるイトウの生息地として有名な天塩川が流れています。
この地に暮らす三代目の漁師 菅井さんは、鮭としじみ漁歴50年のベテラン漁師。
祖父の代からの伝統を守りつつも、東京の小学校の出前授業で食育を行ったり、自ら加工品を開発しています。
菅井さんが開発した「漁師のカスべ漬け」は、
2010年に開催された北海道の地域の漬物のチャンピオンを決める「T-1グランプリ2010」で受賞しました。
山形県出身の祖父は廻船問屋として山形、天塩、樺太間で商売をしていました。
昭和20年代、春は家族で鰊や鱒、秋は鮭漁を生業としていた。
季節ごとの番屋住まいには、本州からのやん衆と寝起きを共にした。
子どもの頃のおやつは、干し数の子や身欠き鰊で、生活の一部に漁があった。
15歳の春に漁師になってから、約50年、鮭を獲りつづけています。
鮭漁は定置網漁法で行われています。
定置網は、25m×150mの長方形の箱状の銅網(どうあみ)と手網(てあみ)の構造になっている。
手網は600mほどもあり、網にぶつかっては、沖に向かう鮭の習性を利用して銅網に誘導していく仕組み。
年間、3万から4万本、最盛期では1日に4000本獲れる日もある。
漁は船頭が仕切る。
菅井さんは船頭であり、豊慶丸の船長です。
鮭は時化魚。時化の見極め次第で網もろとも流されることもあれば、大漁にもなります。
鮭漁の時期は、ご飯も喉を通らない夜もあるといいます。
早朝に漁に出かけ、港に戻れば、鮭の選別作業。
鮭の腹を裂かずにオスとメスを見分けなければなりません。
メスにはイクラ(卵)が入っているので、オスとメスでは市場で買い上げる値段が違うのです。
正確に見分けるには熟練の厳しい目が必要だ。
菅井さんは目で見分けるだけでなく、その指先でも見分けることができます。
指先に伝わる鮭の腹の張り具合を見極めるたけ、ゴム手をつけずに素手で作業にあたります。
「自分で獲った鮭のイクラ丼を腹いっぱい喰って、健康で漁ができるのが最高だべさ」
菅井さんをはじめとした、天塩近郊の漁師が命懸けで水揚げした海産物をご賞味ください。
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平成30年に退職、農家を引き継ぐことを決意しました。